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福島地方裁判所 昭和43年(行ウ)2号 判決

原告 本田脩平

被告 国

訴訟代理人 岸野祥一 外九名

主文

被告は、原告に対し、金一万〇八一二円および内金一万円については昭和四三年二月二五日から、内金八一二円については同年四月四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、金一〇万〇八一二円およびこれに対する昭和四三年二月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二請求の原因

一、原告は、被告に雇傭され、福島郵便局集配課(以下単に「集配課」という)に勤務する郵政省職員であり、郵政省職員をもつて結成する全逓信労働組合(以下単に「全逓」という)の組合員である。

二、全逓と郵政省との間で「特別休暇等に関する協約」(以下単に「協約」という)が結ばれており、その第二条には、郵政省職員が業務上の負傷または疾病およびその他の私傷病のため勤務日または正規の勤務時間中に勤務しない場合には、その日または時間を病気休暇とする旨、第四条には、病気休暇を有給とする旨定められている。そして、右のような病気休暇制度が設けられた趣旨は、労働者の健康を保ち、労働力の維持保全を図るためであるから、病気休暇の実質的要件としては、病気の事実とその病気が就労困難な程度のものであることが必要であり、かつ、それで充分であり、手続的要件として病気休暇承認申請書を提出すれば足りる。

三、原告は、昭和四三年一月三一日、外痔核のため勤務できない状態にあつたので、集配課に一日病気休暇をとる旨電話連絡して同日は出勤せず、翌二月一日、集配課長安藤市助(以下単に「安藤課長」という)に対し、病気休暇申請書を提出しその承認を求めたところ、福島郵便局長梅木悌吉(以下単に「梅木局長」という)は右病気休暇申請を承認せず、欠勤扱いとして同年二月二四日、同月分の賃金から一日分の賃金八一二円を控除して支給した。

しかしながら、原告は、前記協約に基づき病気休暇の申請をしたのであるから、原告の前記欠勤は病気休暇となり、同日分の賃金八一二円の支払いを受ける権利がある。仮りに、所属長の承認によつてはじめて病気休暇が認められるとしても、所属長は、職員から前記協約に基づき病気休暇の申請があつた場合、その要件をみたすときはこれを承認しなければならない債務を負担しているのに、前記のとおり、梅木局長は、原告が同年一月三一日痔疾のため就労困難であり、病気休暇の要件をみたしているのにかかわらず、故意もしくは過失により原告の病気休暇申請を承認しなかつたのは債務の不履行であり、これにより原告は同日分の賃金債権を喪失し、同賃金額八一二円相当の損害を被つたから、被告は原告に対し右損害を賠償すべき義務がある。

四、ところで、同年二月二日、九日、一二ないし一四日、二二日、安藤課長、集配課副課長大沼淑男(以下単に「大沼副課長」という)らは、原告に対し、職務を行なうにつき、故意に「病院に行けという業務命令に違反した。」、「処分が出る。結果は分るだろう。」、「郵政省職員としてふさわしくないのでやめてもらうようになるだろう。」などと申し向けて強迫し、さらに福島郵便局駐在労務連絡官佐藤治郎、同労務担当主事樋口勝雄、同人事担当主事宮田正三らとともに、「ポカ休だろう。」、「闘争のため病休をとつているのだろう。」といつてせめより、著しく原告の名誉を毀損した。これによつて原告の被つた精神的損害は甚大であり、これを慰謝するには金一〇万円が相当である。

五、よつて、原告は、被告に対し、金一〇万〇八一二円およびこれに対する賃金支払日の翌日および不法行為の後の日である昭和四三年二月二五日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三請求原因事実に対する認否

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実中、全逓と郵政省との間で協約が結ばれていること、その協約には原告主張の病気休暇に関する規定があることは認めるが、病気休暇の要件については争う。すなわち、病気休暇を得るための要件としては、実質的には職員が業務上の負傷もしくは疾病その他の私傷病のため、就労することが不可能かもしくは困難であるなど現実に就労することについて支障を生ずる程度の傷病でなければならず、担当職務の変更、勤務の指定変更等により職員が通常提供している労働の質と量とを軽減することによつて就労に支障を生じない程度のものは病気休暇の対象にならない。そして、手続的には、職員が病気休暇の承認を受けようとするときは、協約上、あらかじめ所定の書式により所属長の承認をえなければならないとされ(協約第三条第一項)、これをうけて、郵政省職員勤務時間、休憩、休日および休暇規程は、病気休暇承認申請書の事由欄にその事由を記入し、これを提出することと定めている(同規程第五〇条第一項、様式一号)。しかし、病気、災害その他やむをえないと認められる事由によつて事前に所属長の承認を得ることができなかつたときは、その勤務しなかつた日から週休日ならびに祝日を除き、おそくとも三日以内にその理由を付して所属長に休暇の承認を得なければならない。ただし、この期間中に承認を求めることができない正当な事由があつたと所属長が認める場合には、その期間をこえて承認を求めることができるとされている(協約第三条第二項)。所属長が病気休暇を承認するか否かを決定するにあたつて、前記の実質的要件を充足しているか否かを判断しなければならないが、所属長は、傷病の程度、内容について医師と同等の医学的専門的知識によつて判断することはできないので、病気休暇が引き続き七日以上の長期間にわたる場合には医師の証明書または診断書を添付することを必須の要件とし、七日未満の場合であつても、所属長は、必要のある場合には証明書等の添付を求めることができるとされ(協約第三条第三項)、この点について、郵政省就業規則は、所属長が必要と認めて証明書等の提出を求めたときはこれを提出しなければならないと定め(同規則第九三条第三項)、必要のある場合には、所属長は職務上の命令として証明書等の提出を求めることができ、職員は、その提出の義務を負い、これを提出しないときは、所属長は、前記実質的要件を充足すると判断することができないので、申請を承認しないことができる。

三、同第三項前段の事実中、原告が昭和四三年一月三一日外痔核であつたことは否認し、その余はすべて認める。後段は争う。すなわち、病気休暇は、申請のみによつて当然その効力を生ずるものではなく、所属長の承認を得なければならないことは、前記協約上明らかであるから、所属長の承認によつてはじめてその効力を生ずるものであるが、本件の場合、梅木局長は、原告の病気休暇申請を承認していないから、原告は賃金債権を有せず、本訴請求は失当である。

四、同第四項の事実は否認する。

第四被告の主張

一、郵政省は、昭和四三年一月一三日、昭和四二年における年末闘争の違法行為者らの懲戒処分を一斉に発令したが、集配課郵政事務官宮崎晃、同事務員佐藤一男の両名も仙台郵政局長から昭和四二年の年末において管理者の作業命令に従わずその職務を怠り、管理者に対して暴言を浴せる等職場の秩序をびん乱したことにより、同日付で、いずれも三か月俸給月額の一〇分の一を減給する懲戒処分に付された。そこで、全逓中央本部は同日付をもつて本部指令第二八号を、全逓東北地方本部は同日付をもつて地本指示第八号を、全逓福島地区本部は同月一五日付をもつて指示第二号を発し、右処分が全逓の弾圧を目的とするものであることを全組合員の討議の中から理解し、意識統一を徹底することにより春闘体制を確立すること、当局に対する抗議活動、被処分者に対する激励活動の完全消化を図ること、不当処分撤回のリボン闘争を実施すること等を傘下各下部機関に指示した。これを受けた全逓福島地方支部は、同月一三日午後三時五〇分ごろ、集配課休憩室において、時間外の職員約二五名を集めて職場集会を開催し、その後午後四時一〇分ごろまでの約一五分間にわたり、全逓福島地区本部副委員長鈴木佐太郎、同福島地方支部長川崎貞次らは、梅木局長、安藤課長らに対し、宮崎晃らに対する右処分について内容の説明と処分の撤回を要求して集団抗議を行なつた。また、同支部は、同月一五日に臨時執行委員会を、同月一七日に第一七回執行委員会をそれぞれ開催し、〈1〉不当処分の実態を全組合員に十分理解してもらうため班会議を行ない、執行部がオルグする、〈2〉リボン闘争の実施、〈3〉激励抗議活動の実施、〈4〉人事院に対する不服申立等を決定した。

二、右のような組合の活動を背景として、懲戒処分の被処分者が所属する集配課では、前記処分の発令以降病気休暇の申請態様につき極めて異常な現象が現れるようになつた。すなわち、病気休暇の申請が平常時および例年の同期に比し極めて多く、また、その申立のほとんどが本人の勤務時間の開始時刻の直前ないしは同時刻の経過後電話によつて突発的になされるものであり、さらに始業時刻までは平常通り出勤するが、勤務の途中において風邪、頭痛、腰痛等を訴えて病気休暇の申請をするものが極めて多く見られるようになり、なかには自分の手を同僚のひたいに当てながら「おれは熱がある、風邪だから病休をとる」と周囲にきこえるように声高にいつてその後病気休暇を申請するというような平常時にはみられない不自然の現象が生じた。

そこで、安藤課長および大沼副課長は、事前に病気休暇の申請手続をしないで欠務した職員に対し、自宅訪問を行ない、病状の実態調査を行なうとともに、職員の健康管理の立場から医師の診察を受けるよう勧奨したが、多くのものはこれに従わず、数日後にまつたく同一の理由で再度病気休暇を申請する状況であり、また、勤務の途中において病気休暇を申請するものについては、極力医師の診察を受けさせ、その所見に基づき病気休暇の承認の措置を講じたが、承認された後はまつたく医師の治療を受けないばかりか、さらに同一の理由で病気休暇を申請するものもあつた。このようなことは平素集配課においてみられない特異な現象であり、このため業務の正常な運営に支障をきたした。

三、梅木局長は、右のような特異な現象を生じたのは、組合の闘争戦術に基づくものと判断し、その対策について協議した結果、前記協約第三条第三項本文、就業規則第九三条第三項に基づき、当分の間病気休暇申請にはたとえ引き続き七日未満の病気休暇を受けようとするものであつても、医師の診断書等資料の提出を求めることを決し、その旨同月三一日安藤課長から集配課の職員に伝えたところ、以後集配課における病気休暇の申請は著しく減少し、申請の態様も正常の状態に復した。原告は出勤していなかつたので、大沼副課長および樋口主事が、同日原告宅を訪問したうえ、原告に対し医師の診察を受けるよう勧告し、病気休暇を申請する場合診断書等を提出するよう前記決定の趣旨を伝えた。

四、原告の病気休暇申請は、前記のような背景のもとに行なわれたものである。すなわち、原告は、同月三一日午前七時一五分ごろ、母を介し電話で集配課青木主任に対し、尻に腫れ物ができたので一日休暇させて欲しい旨連絡し、出勤しなかつた。そして、原告が翌二月一日診断書を添付しないで病気休暇申請書を提出したところ、安藤課長は、原告の右申請に疑問を抱き、その承認を留保し、重ねて診断書の提出を求めたけれども、原告はこれに応じなかつたので、診断書を提出することができないのであれば病状および診断書を提出することができなかつた事由を記載した事由書の提出を命じ、さらに同月九日、一三日、一四日、二二日にも事由書の提出を求めたが、同月二三日に至つてもついに事由書を提出しなかつた。

五、以上のとおり、原告が同年一月三一日外痔核を患つていたことを認めるに足りる資料はなく、同日大沼副課長らが原告宅を訪問した際、原告は通常の服装をしており、病状について詳細に説明することなく、同人の病気休暇申請には不自然なものがあり、また、前日の一月三〇日および翌日の二月一日には何ら苦痛を訴えることなく平常どおり勤務した事情等を勘案し、梅木局長は、原告が一月三一日欠勤したのは外痔核によるものとは認め難く、むしろ全逓の闘争戦術に基づくいわゆるポカ休によるものと判断し、したがつて、病気休暇の実質的要件を充足しないからこれを承認しないことに決した。

第五被告の主張に対する原告の答弁および反論

一、被告の主張第一項の事実中、郵政省が昭和四三年一月一三日全逓の組合員に対し一斉に懲戒処分を発令したこと、集配課の宮崎晃、佐藤一男も仙台郵政局長から被告主張の理由で懲戒処分に付されたこと、これに対し全逓中央本部、同東北地方本部、同福島地区本部が被告主張の各指示を発したこと、同福島地方支部が同日午後三時五〇分ごろから時間外の職員を集め職場集会を開催したこと、その際同福島地区本部鈴木副委員長、同福島地方支部川崎支部長らが、梅木局長、安藤課長に対し抗議したこと、同支部が同月一五日、一七日に執行委員会を開催し、被告主張の運動方針を決定したことは認めるが、その余の事実は否認する。宮崎晃、佐藤一男に対する処分理由は事実に反し、いずれも不当であるので、現在人事院に審査請求中である。

二、同第二項の事実は否認する。病気休暇について事前の承認を得るのは例外の場合であり、腹痛、発熱等を予想して事前に病気休暇を得ることは、ことの性質上不可能であつて、むしろ突発的に申請するのが自然であり、しかも昭和四二年一二月から昭和四三年二月にかけて流行性感冒が蔓延し、集配課の職員の中にも流感にかかつたものがいたので、そのころ病気休暇申請が多くなされたとしても決して不自然な現象ではない。

三、同第三項の事実中、引き続き七日未満の病気休暇申請であつても診断書の提出を求めたこと、原告にもその旨伝えたことは認める。昭和四三年二月一日以降ポカ休の発生がなくなつた事実は不知。組合が病気休暇戦術を採用したことはない。協約上、七日未満の病気休暇申請について医師の診断書等資料の提出義務はないのにかかわらず、梅木局長が一日の病気休暇申請についてまで医師の診断書等資料の提出を求めたのは協約違反であつて無効である。

四、同第四項の事実中、原告が同年一月三一日午前七時一五分ごろ尻に腫れ物ができたので欠務する旨連絡したこと、翌二月一日、診断書を添付しないで病気休暇申請書を提出し、同日安藤課長が診断書の提出を命じたことは認める。安藤課長から同月一二日になつてはじめて一月三一日に医師の診察を受けなかつた理由についての事由書の提出を求められたものである。福島郵便局では、昭和三九年ごろから七日未満の病気休暇を申請する場合、診断書の提出等を必要とせず、急病の場合など電話で職場の同僚を通じ主管課長に病気休暇をとる旨連絡し、病気回復出勤後申請書を提出すれば承認されるのが労使慣行であつた。ところが、昭和四二年、梅木局長が就任するや右慣行を一方的に破棄し、労働強化を計ろうとして一日の病気休暇であつても診断書の提出を求めた。しかし、協約上七日未満の病気休暇をとる場合、診断書等の提出を義務づけていないし、組合の指導もあつたので、原告は敢えて事由書を提出しなかつた。

五、同第五項の事実中、原告が普段着姿でいたことは認めるが、原告が昭和四三年一月三〇日および同年二月一日に苦痛を訴えなかつたとの点は否認する。七日未満の病気休暇申請の疎明資料としては医師の診断書に限らず、本人の申立、家族や同僚の報告、所属長自からの現認、医師の口頭または文書による報告等でもよく、協約上「医師の証明書等」と規定し、疎明の多様性を予定しているばかりでなく、その提出を義務づけられていないことは前述のとおりである。被告は、原告が同年一月三一日外痔核を患つていたと認めるに足りる資料がないと主張するが、原告は、同日の朝痔疾のため到底集配勤務に従事することができない状態に陥つたので、集配課青木主任に「尻に腫れ物ができたので休ませて欲しい」と電話連絡し、その旨を安藤課長に伝えてもらい、なお、同日大沼副課長および樋口主事の訪問を受けた際も病状を充分説明した。そして、大沼副課長の訪問を受けたので、翌二月一日無理をして出勤し、集配課勤務に従事したが、激痛を感じたため斎藤外科医院に行き診察を受けたところ、一週間の安静加療を要する外痔核と診断され、その旨の診断書を同日大沼副課長に提出した。以上の疎明資料をもつてすれば、原告が同年一月三一日痔疾のため安静加療を要する状態にあつたことは十分推認し得るはずである。また、全逓が同月一三日の処分に対する処分撤回闘争として病気休暇戦術を採用したことはない。さらに、局長が七日未満の病気休暇申請についてまで診断書の提出を求めたのは集配課だけであり、しかも診断書の提出を求められてから後に病気休暇申請をした者のなかに診断書を添付しない者もいたが、これらの者はすべて病気休暇申請を承認されている。これらのことを考えると、被告が原告の病気休暇申請を承認せず、かつ賃金を支払わなかつたことは何ら正当の理由がないものである。

第六証拠関係〈省略〉

理由

一、原告は、福島郵便局集配課に勤務する郵政省職員であつて全逓の組合員であること、全逓と郵政省との間で「特別休暇等に関する協約」が結ばれており、右協約には、郵政省職員が業務上の負傷または疾病およびその他私傷病のため勤務しないときは病気休暇とし、有給とする旨定められていること、原告は、昭和四三年一月三一日痔疾で欠勤する旨の電話連絡をして出勤せず、翌二月一日病気休暇の承認申請をしたところ、梅木局長は、右申請を承認せず欠勤扱いとし、同月二四日、同月分の賃金から一日分の賃金八一二円を控除して支給したことについては当事者間に争いがない。

二、被告は、原告の病気休暇申請を承認しなかつたのは、同年一月三一日における原告の欠務が病気休暇の実質的要件を充足せず、手続上も不備の点があつたためであると主張する。そこで、まず病気休暇の要件について判断する。

1  病気休暇の実質的要件について

協約第三条に、職員が業務上の負傷または疾病およびその他の私傷病等で勤務日または正規の勤務時間中に勤務しない場合には、その時間または期間を病気休暇とする旨定められていることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一号証によれば、同条になお病気休暇の長さは、医師の証明等に基づき最少限度所属長が必要と認める時間または期間である旨定められていることが認められる。そして、右のいずれの場合も病気休暇の事由たる傷病としてはどの程度の病状であることを要するかその基準についての定めはないが、証人桜井国臣の証言および弁論の全趣旨によれば、病気休暇制度が設けられた趣旨は、職員が病気になつた場合後顧の憂いなく療養に専念し、一日も早く健康体に回復させることにより、労働力の確保を図るために設けられたことが認められるので、病状の比較的軽い初期の段階において治療に専念させることが最も病気休暇制度の趣旨に副うものということができる。したがつて、病気休暇を得るための要件としては、極く軽微か担当職務の変更、勤務の指定を変更しさえすれば就労に支障を生じない程度の病気はともかく、就労困難な病気であれば足り、被告が主張するように就労することが不可能の程度まで達する必要はないと解するのが相当である。

証人桜井国臣、同安藤市助の各証言によれば、現に病気休暇の実質的要件について、被告が主張するように厳格に運用されていない実情にあることが認められ、このことからも右の基準の妥当性を裏付けることができる。

2  原告の病状について

成立に争いのない乙第一七号証の二、証人本田政子の証言、原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告は、昭和四三年一月三〇日には、同日の午後三時三七分まで平常通り集配勤務に従事したが、勤務終了間際になり肛門の部分が痛み出し、帰宅途中松川橋付近にさしかかつたところ、肛門に腫れ物ができたためかその部分に触れると激痛を感じたので、帰宅後手当をしようと思い薬を探しても見付からずそのまゝ放置し、まさか痔疾を患つているとは思いもよらず、一晩休めば治るだろうと軽く考え、その晩は早目に就寝した。ところが、翌一月三一日朝になつても痛みがあり、到底集配勤務に従事することができない状態であつたので、原告は、母に右の事情を話し、同人を介して当日は欠務する旨集配課へ電話連絡をし(欠務の電話連絡をしたことは当事者間に争いがない)、肛門の痛み以外は別に異常はなかつたから普段着の姿で横になつていた。同日午後三時ごろ、大沼副課長および樋口主事が原告宅を訪れ、病状について質問した。そこで、原告は尻に腫れ物ができて触れると痛いので静養するため一日の病気休暇を申請した旨説明した。その際、大沼副課長らから診察を受けるように勧告されたが、局所の診察を受けるのは恥ずかしく、その日は診察を受けなかつた。翌二月一日も痛みはあつたが、前日大沼副課長らに自宅訪問を受けたこともあつたので、原告は出勤して平常どおり集配勤務に従事したところ、昼ごろから再び痛み出したため、勤務終了後、斎藤医院に行き診察を受けた結果、安静加療一週間を要する外痔核と診断され、その手当を受けた。原告は、同日、右病名等を記載した診断書(乙第一七号証の二)を添付し、同月二日から八日までの病気休暇を申請しその承認を受けた。その後、本件病気休暇について、原告は安藤課長らと折衝を続け、二月二二日にも交渉したが、その席上、安藤課長から事情の説明を求められ、原告は、一月三一日の病状について前記と同様の説明をした。

証人安藤市助の証言(第二回)により真正に成立したと認められる乙第二一号証および同証人、証人大沼淑男の各証言によれば、安藤課長および大沼副課長が同年二月二二日、右斎藤医師を訪ね、原告の一月三一日の病状について意見を求めたところ、同医師は、「二月一日診察した結果では、肛門にちよつとした小さないぼが出た程度の軽いものであつて、前後両日平常どおり勤務したのであれば当日も勤務できない状態ではなかつたでしよう。」との意見を述べたことが認められるが、前認定のように、原告は一月三〇日平常どおり終日勤務し、帰宅途中痛みを感じたというのであり、さらに、二月一日は朝から痛みがあつたけれども、前日大沼副課長らの訪問を受けたこともあつたので出勤し、集配勤務に従事したところ、昼ごろから再び痛み出し、勤務終了後斎藤医師の診察を受けた結果、一週間の安静加療を要する外痔核と診断されたというのである。しかも、証人真柄登の証言および原告本人尋問の結果によると、同人らが、昭和四四年一一月二五日斎藤医師に面接し事情をただしたところ、「雑談的に安藤課長らに話したことはあるが、昭和四三年一月三一日原告の診察をしていないので勤務できる状態であるかどうかはいえない。小さい傷でも本人が痛いと訴えるのであれば勤務はできないだろう。」と述べたことが認められる。したがつて、斎藤医師の意見は、一貫しないばかりでなく、前提事実に問題があるので、同医師が安藤課長らに述べた意見をそのまま肯定することができず、他に前記認定をくつがえすに足りる証拠はない。

なお、被告は、原告の病状に対する反対事実として全逓福島地方支部が休暇闘争戦術を採用し、当時集配課において病気休暇申請が異常に増加したと主張するが、かりに、そうであつたとしても、真実就労困難な病気があつて、職員がそれを理由に病気休暇の承認を求めたのであれば、その申請は協約上の要件を充足し、かつ、病気休暇制度の趣旨に反するものでもないから、所属長はこれを不承認とすることはできず、逆に病気でもないのに病気であると偽つて病気休暇の承認申請をした場合は、組合の闘争戦術いかんにかかわらず、所属長はこれを承認してはならないものといわなければならない。要するに、病気休暇を闘争戦術に利用したか否かによりその承認が左右されるのではなく、申請にかかる当該病気が病気休暇の要件を充足しているか否かによつて、承認あるいは不承認と決すべきものと解するのが相当である。したがつて、梅木局長が、原告の病気休暇申請を承認しなかつた理由の一つに、組合が処分撤回闘争の戦術として病気休暇を利用したことをあげているが、これは右に述べた事由によつて、原告の痔疾の有無を判断する消極的資料となるものではないといわなければならない。

右認定事実によれば、原告が一月三一日就労困難な程度の痔疾を患つていたと認めることができ、病気休暇の実質的要件を充足していたというべきである。

3  病気休暇の手続的要件について

前掲乙第一号証、成立に争いのない同第二、三号証によれば、協約第三条第一、二項および郵政省職員勤務時間、休憩、休日および休暇規程第五〇条第一項、様式第一号に、病気休暇をうけようとするときは、事前または事後に病名ないし病状を同規程の定める病気休暇承認申請書の事由欄に記入してこれを所属長に提出し、その承認を得なければならない旨、協約第三条第三項に「前二項の場合において、必要ある場合には所属長は証明書等の添付を求めることができる。ただし、引き続き七日以上にわたる病気休暇をうけようとするときは、医師の証明書または診断書を添付しなければならない。」と、それぞれ規定してあり、また、就業規則第九三条第三項に、「前二項の場合において、所属長が必要と認めて証明書等の提出を求めたときは、これを提出しなければならない。」と規定してあることが認められる。したがつて、七日未満の病気休暇の申請をする場合は、原則として証明書等の添付を必要としないが、所属長からその提出を求められた場合、これを提出しなければならない。この点について、原告は、協約上医師の診断書等資料の提出義務はなく、提出を義務づけた就業規則は、協約に反し無効であると主張する。協約に違反する就業規則は、その効力を有しないことはいうまでもないが、前示のとおり、協約第三条第三項本文では、必要ある場合所属長は証明書の添付を求めることができる旨規定している。本来自己に帰因する事由により労務を提供しなかつた場合には、当該賃金債権を失うのであり、その事由が病気であつても同様である。すなわち、病気休暇によつて賃金債権を失うことのないのは、当事者の合意の効果であるから、その合意において病気休暇申請者の証明の責任を免除しないかぎり、申請者において病気の存在を証明すべきである。したがつて、右合意にあたる協約の右規定の趣旨は、申請にかかる当該病気が申請書の記載自体からこれを認めるのに疑問があり、かりに病気であるとしても就労困難であるか否かを判断することができないような場合、病気の証明を申請者の負担としたものであり、したがつて、診断書等の資料の提出を求められたのにかかわらずこれを提出しなかつた場合、申請者はその不利益を負担しなければならないと解するのが相当である。当事者の合意によつてその一方にある権利を付与した以上、相手方はこれに応ずる義務を負担するのが当然であるから、就業規則第九三条第三項は右の趣旨を表現したにすぎないというべきであり、右の規定は何ら協約に違反するものではない。証人杉田務、同野呂昭二郎、同橋本弘嗣、同高橋和夫の各証言および原告本人尋問の結果中には、原告の前記主張に副う供述部分があるが、右主張は独自の見解であつて採用し難い。

4  原告のした病気休暇承認申請手続について

(一)  原告が昭和四三年一月三一日朝尻に腫れ物ができたので欠務する旨電話連絡をし、同日欠務したことは前示のとおりであり、原告が翌二月一日診断書を添付しないで本件病気休暇の申請書を提出したこと、同日安藤課長が診断書の提出を命じたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第四号証、証人安藤市助(第一回)、同大沼淑男の各証言によれば、二月一日、安藤課長は原告が同年一月三一日医師の診察を受けなかつたため診断書を提出できない旨述べたので、診断書の提出に代えて事由書の提出を命じたことが認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

(二)  右診断書提出命令の当否について

(1) 郵政省は、昭和四三年一月一三日、昭和四二年における全逓の年末闘争につき、違法行為者らの懲戒処分を一斉に発令したが、集配課郵政事務官宮崎晃、同事務員佐藤一男の両名も仙台郵政局長から、被告主張の理由でいずれも三か月俸給月額の一〇分の一を減給する懲戒処分に付された。そこで、全逓中央本部は同日付で本部指令第二八号(乙第一〇号証)を、同東北地方本部は同日付で地本指示第八号(乙第一一号証)を、同福島地区本部は同月一五日付で指示第二号を発し、これらの各指示を受けた同福島地方支部は、同月一三日午後三時五〇分ごろから時間外の職員を集め職場集会を開催したが、その際同福島地区本部鈴木副委員長および同福島地方支部川崎支部長は、梅木局長、安藤課長に対し、前記宮崎晃らに対する処分の説明を求め、さらに処分の撤回を要求して抗議した。また、同支部は、同月一五日臨時執行委員会を、同月一七日第一七回執行委員会をそれぞれ開催して、(1)不当処分の実態を組合員に十分理解してもらうため班会議を行ない執行部がオルグする、(2)リボン闘争の実施、(3)激励、抗議活動の実施、(4)人事院に対する不服申立て等決定した。以上の各事実については当事者間に争いがない。

(2) 原本の存在および成立について争いのない甲第四号証の一ないし五、証人安藤市助(第一回)の証言により真正に成立したものと認められる乙第一六号証の一、第一六号証の二の一、二、第一六号証の三、証人梅木悌吉、同安藤市助(第一回)、同大沼淑男、同樋口勝雄、同鈴木弘志の各証言および原告本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

昭和四三年一月(郵政省が一斉処分を発令した月であることは前示した)中の集配課における病気休暇は、延人員にして三七名につき付与されているが、そのほとんどが風邪を事由とするものである。これは郵便課における病気休暇の付与数延二七名と両課の現在員に対する比率がほゞ同様であるが、他課および集配課の昭和四一年、四二年の同期あるいは同年および昭和四三年の前後の月における病気休暇の付与状況に比し非常に多い数である。また、病気の申立が始業時刻直前あるいは始業開始直後電話連絡されるもの、あるいは平常どおり出勤した後勤務の途中において行なうものが多く、なかには自分の手を同僚のひたいにあてながら「おれは熱がある、風邪だから病休をとる」と声高にいいながら病気休暇を申請するなど非常に不自然な現象が見受けられた。そこで、安藤課長および大沼副課長は疑問を抱き、病気休暇を申請した職員の自宅を訪問して実態調査をし、職員に医師の診察を受けるよう勧めてまわつた。ところが、平常の場合勧告に従つて医師の診察を受けるのが通常の状態であつたのに、同月中に病気休暇を申請した者のほとんどが診察を受けなかつた。また、全逓福島地方支部、同福島地区本部が、一月一三日の処分に対する処分撤回闘争を行ない、班会議を開催して執行部がオルグしたほか、リボン闘争、激励、抗議活動を実施したが、一月二九日保険課分会の内務集会を開催し、同支部真柄副支部長が、同分会員に対し、集配課では一月一三日の不当処分撤回闘争として物溜闘争、休暇闘争を実施しているが、集配課だけでは効果をあげるのに十分でないので、保険課分会においても協力して欲しい旨述べ、このことが右集会に出席した鈴木弘志から梅木局長に通報された。そこで管理者側では、梅木局長、安藤課長らが集まり局議を開いてその対策を協議した結果、組合が病休戦術を採用しているものとの結論に達したので、病気休暇申請のすべてがその要件をみたしているものばかりとは認め難くなり、従来七日未満の病気休暇申請については申請書の提出のみで承認していたのであるけれども、協約第三条第三項、就業規則第九三条第三項に基づき、集配課職員の病気休暇申請については、たとえ一日の病気休暇申請であつても診断書の添付を求め、診断書を提出しないものについては病気休暇申請を承認しないことに決した。そして、安藤課長は、一月三一日、その旨を集配課の職員に伝え、原告に対しても同日大沼副課長が自宅を訪問した際その旨を伝えた。それ以後集配課における病気休暇申請は激減し、延人員にして二月中には僅か六名、三月中には七名を数えるだけであつた。なお、集配課事務員七島良吉は、二月一六日、痔が悪いといつて病気休暇を申請したが、その際病状について具体的に説明しなかつたため、安藤課長から診察を受けるように勧められ、同人とともに逓信診療所に行き、診察を受けて帰る途中、同人に対し、処分撤回闘争の手段として組合から病気休暇をとるよう勧められており、その場合には診察を受けないように指示されている旨もらしたことがあつた。また、当時福島県下に流感が発生していたが、その蔓延は主として県南の浜通り、中通り、会津地方であつて、福島市周辺はそれ程の流行を見ていなかつた。

原告は、同年一月三〇日平常どおり勤務し、欠務した同月三一日もメンソレータムを同日の夕刻患部に一度ぬつただけで手当らしい手当をせず、二月一日は平常どおり勤務をした。一月三一日大沼副課長が原告方を訪問した際原告に対し医師の診療を受けることをすすめ、同日原告が診療を受けうる時間的余裕があつた。

証人七島良吉、同真納登の各証言および原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事情の下においては、安藤課長が原告の病状に疑念を抱き、病気休暇承認のための判断資料として診断書の提出を命じたことは相当であるというべきである。

(三)  原告が診断書を提出しなかつたことの当否について

前掲乙第四号証、証人安藤市助(第一回)、同大沼淑男の各証言および原告本人尋問の結果によれば、二月一日診断書の提出を命ぜられた原告は、同日の勤務終了後、再び患部の痛みを覚えていたので、斎藤医師の診察を受けたこと、外痔核のため一週間の安静加療を要する旨の診断書をもらい、これを添付して翌二日から同月八日までの病気休暇承認申請書を提出し、その承認を受けたこと、原告は、同医師の診察を受けた際、一月三一日の病状についての診断書の交付を依頼したが、同医師から同日は診察していないから作成できないと拒絶されたので、その旨安藤課長に告げたことが認められ、他にこれをくつがえすに足りる証拠はない。

してみれば、前示のように、原告が一月三一日に診察を受けうるのにあえて診察を受けなかつたことは責められるべき点ではあるが、安藤課長から診断書の提出を命ぜられた後は、これに従うべく努力しているのであり、しかも二月一日前記診断書を提出しており、これによつて、一月三一日の病状が十分推認できることは前に説示したとおりであり、これをもつて本件病気休暇承認申請のための診断書に流用しても、所属長として怠慢のそしりを受けることはないというべきであり、原告に対しあえて診断書提出義務の懈怠をもつてとがむべきではない。

(四)  事由書提出命令の当否について

前示のとおり、原告は診断書提出義務を尽くしたと評価すべきであるから、証明資料として診断書に代わる事由書の提出を求める必要性を欠くといわなければならず、原告に対する事由書の提出命令は、資料提出の必要性の有無の判断についての裁量の範囲を逸脱したものであつて、その効力を生じないというべきである。

5  そうだとすれば、原告の病気休暇承認申請は、実質的要件を充足するとともに、形式的要件を欠く点を非難することは相当でないのにかかわらず、梅木局長がこれを承認しなかつたといわなければならない。

三、次に病気休暇請求権の法的性質について判断する。この点について、原告は、形成権であるから請求しさえすれば直ちに効力が生じ、したがつて原告は一日分の賃金債権を有すると主張する。前示のとおり、協約第三条には、休暇を受けようとする者は、事前または事後に所属長の承認を得なければならないと規定し、また、証人杉田務、同桜井国臣の各証言によれば、全逓が病気休暇の手続について協約を締結する当時はもちろんその後においても届出制に改正することを要求して郵政省と交渉したが、改正するまでには至つていないことが認められる。以上、協約上の表現、協約締結時からの交渉経過に照らすと、病気休暇請求権の法的性質は形成権ではなく、所属長の承認をまつてはじめて付与の効力を生じ、その承認権の行使は所属長の自由裁量に属すると解するのが相当である。したがつて、原告は、本件病気休暇について所属長の承認を得ていないから、病気休暇付与の効力も生ぜず、賃金債権を有しないものといわなければならない。

ところで、所属長は、職員から病気休暇の申請があつた場合、その要件を充足しているときは、これを承認しなければならない協約上の債務を負担しているところ、原告の本件病気休暇申請がその要件をみたしているのに、少なくとも過失によりその要件を欠くものと判断し、不承認としたことは裁量権の範囲を著しく逸脱した違法があり、それによつて被つた原告の損害を賠償する義務があるといわなければならず、そして、局長が原告の昭和四三年二月分の給料から金八一二円を控除したことは前示のとおりであり、したがつて、原告の被つた損害は金八一二円と認めるのが相当である。(もつとも、局長が、本件病気休暇申請を不承認と決した処分は、行政処分であつて公定力を有するから、右処分を取り消さない以上、損害賠償請求をなし得ないようにも解されないではないが、行政処分の公定力の効果は、公権力の違法行使を理由とする損害賠償請求にまでは及ばないと解すべきである。)

四、最後に慰謝料請求について判断する。

証人本田政子、同安藤市助(第一回)、同大沼淑男、同樋口勝雄の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、つぎの事実が認められる。

1  昭和四三年二月一四日午後一時すぎころから午後二時ころまでにわたつて、原告は、大沼副課長から、福島郵便局労務連絡室に呼ばれ、庶務課樋口、宮田両主事が立ち会つて、本件休暇申請につき事由書を提出しない理由を詰問され、重ねて事由書の提出を要求され、これを拒否したため、最初のころは穏かであつたが、最後のころになつて、同人らから、「郵政省の職員なのか全逓の組合員なのか。」とか「郵政職員としてふさわしくないから処分する。」と強くいわれた。その間原告は椅子につき、途中大沼副課長にたばこを吸つてもよいかといつて、喫煙したようなこともあつた。

2  同月二二日午後五時三〇分ごろ、原告は、集配分会長高橋和夫の指示で、集配課長席におもむき、安藤課長に本件病気休暇承認申請の事由を口頭で疎明することでよいかと申し出た際、同人は、大沼副課長、丸山、赤沼両課長代理、樋口主事を集めて、原告に右事由を話させたうえ、事由書の提出を要求したので、原告はこれを拒否した。その際同課長から「処分になるぞ。」と強くいわれた。

証人安藤市助、同大沼淑男、同樋口勝雄の各証言および原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他にこれをくつがえすに足りる証拠はない。

右「処分する」とのことばの意味は必ずしも明らかではないが、単なる賃金カツトを意味するとしては強きにすぎ、懲戒処分を意味すると解するのが通常であり、少くともいわれた相手方がそのようにうけとつたとしても、思い過ごしということはできない。そうだとすると、管理者側の発言としては失当であり、これによつて原告が精神的苦痛を受けたであろうことはたやすく推認されるのであつて、被告は原告に対し、その精神的損害を償うべき義務あるものといわなければならない。

進んで、その慰謝料額について考えてみると、そもそも病気休暇の実質的要件とされる病気の有無は、病気が軽い場合にはその判断が極めて困難であり、病気休暇制度の適切妥当な運用は、申請者と承認権者との間の信頼関係に強く依存している。したがつて、この信頼関係が消滅し、あるいは弱化した場合には病気休暇の付与に関して紛議が生ずることは明らかであり、このことを念頭において、右の事実および前示二、4、(二)の事実、その他本件訴訟にあらわれた一切の事情を斟酌すると、金一万円をもつて相当とする。

五、結論

以上の次第により、被告は、原告に対し、金一万〇八一二円および内金八一二円については訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四三年四月四日から、内金一万円については不法行為の後の日である昭和四三年二月二五日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務あるものというべく、原告の本訴請求は右の限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文を適用し、主文のとおり判決する。

なお、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さない。

(裁判官 丹野達 佐野貞二 新田誠志)

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